ダイダラボウ伝説 [歴史・レトロ・旅行]
高速バスで東京へ行く途中、北関東自動車道路の
大洗インター近くで見られるのが
白い巨人像「ダイダラボウ」です。
若い頃は、この像のある不思議な遺跡
「大串貝塚ふれあい公園」へよく出掛けたもの。
懐かしさのあまり、うん十年ぶりに行ってみました。
公園入口からは、巨人の後ろ姿が目に入ります。
正面から見ると何とも凛々しいお姿!
高さは15mあり、台座建物内の階段を登り
胎内に入ることができます。
巨大な手の平に設けられた展望台に到達。
ここが階段で登れる最高部となりますが
残念!〜顔や目の辺りまでは登れないんだ。
お顔を見上げると、とても優しそうな表情。
ご丁寧にも大きな手の造形までありました。
こちらには、大きな足跡をかたどった池までも。
ところで、県内で貝塚のあるところには大抵
「ダイダラボウ伝説」や地名が残されているそうな。
振り返ってみると、我がひたちなか市内には
旧那珂湊地区の丘陵地・柳沢団地に
縄文海進時代の柳沢貝塚があり、そこには
「大田房(ダイダボウ)」という古い字名が残って
います。さらには全長約40mの前方後円墳
(寺前古墳)までも。
この一帯は遺跡の宝庫でしたが、大型団地の造成で
跡形もなくなってしまいました。(涙)
ところで、大串貝塚公園の一角にある
水戸市埋蔵文化財センターでは・・
現在、同センターならではの企画展
「巨人たちの足跡〜水戸の考古学総まくり」を
来年の2/24まで入場無料で開催中!
考古学大好きな私にとってはまさに
”ネコにマタタビ”のような嬉しい企画展と
出合い、超ラッキーでした。(*^◯^*)
大串貝塚は以前「常澄村」だったような?
今では水戸市に併合されちゃって
水戸市内の遺跡発掘事業は全て
ここで管轄するようになったとか。
時代はあっという間に変わっちゃうんですねえ。
話題の「ほしいも神社」へGo! [歴史・レトロ・旅行]
今、ホッとな話題の「ほしいも神社」へ行きました。
まずは湊線・阿字ヶ浦駅前の「掘出(ほりで)神社」へ。
この神社は元々は古墳だったようで、私みたいに?
好奇心旺盛な徳川光圀公が掘ったら、御神体となる
鏡が出てきたので「掘って出た神社」ということで
「掘出神社」を建立したそうで、この辺りの由来は
殆どダジャレ?(^。^)
近年は湊線の「初日の出号」で乗客全員が阿字ヶ浦
駅で下車して最初に?初詣する神社としてすっかり
有名になりました。
境内はスタジイやヤブツバキなどの古木で覆われて
神々しい気配が漂っています。参道から一段高いと
ころに社殿が鎮座。もしかして古墳の頂上なのかも?
拝殿には「光圀公ゆかりの神社」の横断幕も。
先の陰陽神社といい鹿島神宮の要石といい、光圀公
の古代史への好奇心は半端じゃありませぬ。
本当は藩主より考古学者になりたかったのかも?
小ぶりなれども由緒正しき社殿。光圀公の発掘した
古代鏡は、本殿の奥深くに安置してあるはず。
目指すニューフェイス「ほしいも神社」は、石垣の
すぐ外側の敷地に鎮座しておりましたが、そこには?
掘出神社の末社としてオープンしたばかりの神社に
は、目にもまばゆいばかりの黄金色の鳥居がずらり!
ほしいもの色からイメージしてこの色にしたそうで
なんともゴージャスな雰囲気でした。
ど派手な鳥居列を潜った先の社殿は可愛いもの。
ピカピカし過ぎてさほどありがたみを感じません
が、時間がたてばそれらしく見えることでしょう。
地元・阿字ヶ浦地区で、ほしいもの製品化に貢献の
あった小池吉兵衞ら5人を「ほしいもの神様」とし
てお祀りし、この神社を「ほしいもの聖地」として
大いにPRするそうな。
ほしいも付の御札、ほしいも付の御守りなんかを販
売したら、更に人気が出そうですよね。
あっ、ほしいもの直売所らしき建物もありました!
ご利益は「ほしいモノは全て手に入る」な〜んて?
ここでも語呂合わせと言うか、ダジャレ連発でした。
神社参りの後は、個人的な?食の聖地・幸楽苑へ。
つけ麺と野菜餃子で、大満足でした。(笑)
キングの塔・神奈川県庁へ [歴史・レトロ・旅行]
ジャックの塔(横浜市開港記念会館)を出て
目の前にそびえる「キングの塔」へ。
ここは神奈川県庁本庁舎として使用されている
建造物で、昭和3年に完成し
県内最初の国指定有形文化財だとか。
地下1階、地上5階の上に、4階建ての塔屋が
そびえ、「キングの塔」として親しまれています。
正面玄関は古き良き時代の贅沢な造り。
エレベーターで屋上展望台に到着すると
写真パネルなどが置かれた展示室も。
塔屋に登る急階段が設けられていますが
普段は入れません。
屋上展望台に出ると、見事な塔屋が〜!!
先端には五重塔のような飾りがあり
和洋折衷の思想で設計されたのかも。
石造りの囲いからは横浜港が一望できます。
こちらからは、イスラム風尖塔の「クイーンの塔」
(横浜税関本関庁舎)が目の前に見えますが
今回は都合により立ち寄りませんでした。
夜間は塔のライトアップが行われていました。
付近には他にも、横浜港開港以降の
様々な歴史的展造物があり
思う存分エキゾチックな気分に浸れます。
横浜市開港記念会館へ [歴史・レトロ・旅行]
横浜市関内地区のビジネスホテルに泊まりました。
近くには時計塔のある「横浜市開港記念会館」という
国指定重要文化財のエキゾチックな建物があります。
この辺りには同様な塔が3ヶ所あり
それぞれキング、クイーン、ジャックの愛称で
親しまれており、合わせて「横浜三塔」として
親しまれています。
ここ「ジャック」は三塔のうち最も好きな建物です。
せっかく来たので内部を見学することに。
外壁は赤レンガ造りで、赤と白のストライブ。
スリムな時計塔が印象的な美しい外観です。
付近は福井藩が開設した商館があったそうで
輸出用生糸の取引も行われていたとか。
建物は明治42年に開港50周年を記念して
建築され大正6年に完成。
その後、関東大震災で被災して再建。
戦時中は被災は免れたものの
終戦から昭和33年まで米軍により接収。
様々な歴史を潜り抜けた建物の周りには
幾つもの記念碑が並んでいます。
その中に「岡倉天心生誕之地」の石碑が!
北茨城市にも岡倉天心の足跡を記念した
県立天心記念五浦美術館がありますが
この場所と繋がっていたんですね。
ボランティアさんの説明を受けながら
2階に上がると素晴らしいステンドグラスと
幾何学装飾の施された格好良い窓が〜!!
特に興味のあった時計塔には
こちらの螺旋階段から登れますが
特別な日以外は立ち入り禁止ということで残念!
説明して頂いたボランティアさんに
北茨城市にも天心が活動した史跡と
彼の名を冠した美術館がある旨を伝えたら
ご存じなかったようで大変驚いておられました。
建物のすぐ目の前には「神奈川県庁」があります。
この建物は「キング」の愛称を持つ塔があり
見学できるとのことで立ち寄ってみることに。
外は雨が降り続いておりましたが
好奇心が先立って全く気になりませんでした。
おでぃば山日和 [歴史・レトロ・旅行]
今日は、愛読者・ポテト姫さまのオススメで
大洗町の「磯浜古墳群」のある「おでぃば山」へ。
実に10年ぶり(もっと前かも?)でした。
ところが今日は「あんこう祭り」の開催日とあって
いつもの海岸側道路は交通規制が行われており
とてもじゃないけど駐車するのはムリ!
なので悪知恵?を働かせて、山側道路沿いの
某ホームセンターに駐車させてもらい
おでぃば山の裏側から登ろうと歩いて行くと
道の入口には親切にも案内板が!
なんと〜同古墳群はこの度「国指定史跡」に
指定されることになりました。(拍手)
同古墳群には全部で4基の古墳が現存するそう
ですが、このうち国指定となるのは
姫塚、日下ケ塚(常陸鏡塚)、車塚古墳の3基。
他の1基は、前方後円墳の坊主ケ塚古墳ですが
個人宅内にあるため指定されなかったのかも。
最初にあるのは、見上げるような巨大な円墳
(直径90m、高さ13m)「車塚古墳」。
円墳としては全国3番目の規模だとか。
せっかくなので登ってみました。
椎の巨木が生い茂る急勾配の墳丘を登っていくと
視界が開けて、頂上には小さな祠が鎮座。
3〜4世紀という、言わば日本(ヤマト)の黎明期に
よくぞ堂々たる”人工の山”を築いたもの。
ここからの眺めは実に素晴らしく
筑波山をくっきりと見ることができました。
すぐ近くには今回初めて見る「姫塚古墳」が。
もしかして女性が葬られているのかも?
現存する墳丘は全長30m、高さ3.5mと
やや小ぶりですが
古墳業界?では珍しい「前方後方墳」だそうな。
さらに南側(海岸方向)に進むと
同古墳群最大の前方後円墳である
「日下ケ塚(ひさげづか)古墳」(常陸鏡塚古墳とも)が!
墳丘長約103.5mという圧倒的な存在感です。
こちらが前方部。
周囲には空堀(周溝)が巡らされているそうです。
くびれ部に設けられた小道を登っていくと
後円部頂上には「日下ケ塚古墳」の石碑が。
昭和24年に行われた発掘では
後円部の墳頂から長さ9mもの長大な粘土槨
(棺を収める室)と共に、膨大な数の遺物が
出土したというトンデモ級の古墳らしいです。
いったいどんな大王が葬られているのやら?
さらに同古墳に隣接する一段高い土壇は
異国船の襲来を警護するため
幕末に設置された海防陣屋跡。
天狗党の乱で陣屋は焼失し今は土壇が残るのみ。
地元ではこの高台のことを「おでいば山」と
呼んでおりますが「お台場山」の愛称でした。
町を一望出来る高台に
古代と幕末の遺跡が共存するという不思議?
ポテト姫さまたち地元の歴史愛好会は
貴重な遺跡広場「おでいば山」の整備に
長きにわたり関わってこられたので
今回の朗報は特に感慨深いのでは。
崖っぷちの土壇からは市街地が一望できました。
あらら?桜の花が数輪咲いちゃってるけど?
ただ今、土日祝日の10日間
大洗町文化財企画展を限定公開中とのこと。
私は残念ながら、会場の旧大貫小学校まで
辿りつかなかったのですが、皆さんもぜひ
古墳deコーフンされては如何でしょうか?
おでいば山を下りると、そこは別世界!
「大洗あんこう祭り」で大にぎわいでした。
那珂湊の獅子とみろく [歴史・レトロ・旅行]
市内和田町の那珂湊支所の展示室に立ち寄ったら
那珂湊八朔祭の際に登場する「獅子とみろく」の
実物を展示しておりました。
いずれも元禄年間から天満宮祭礼(八朔祭)に
登場してきたもので「文化庁選択民俗芸能」
に指定されているという大変貴重な屋台を
間近で見ることができます。
旧那珂湊六丁目に伝わる「六丁目の獅子」は
それぞれ棒の先に雄・雌・子どもの獅子頭が
取り付けられており、底なし屋台の中で
お囃子に合わせて一頭ずつ演舞するもの。
八朔祭では神輿の露払いとして列に加わっています。
横から見るとえらくシンプルです。
祭り行列ではお囃子が奏でられる中を
町内の氏子たちが綱で引いていきます。
こちらは旧那珂湊元町に伝わる「元町のみろく」。
棒の先に付けられたみろく三体がお囃子に合わせて
底なし屋台の中で、一体ずつ滑稽な演舞を披露。
三体のみろくはそれぞれ神様を表しており
赤は鹿島神、青は春日神、白は住吉神だとか。
祭り行列では、ドーン、ドーンと大太鼓を
打ち鳴らしながら
氏子たちに綱で引かれて行きます。
詳しくは館内の詳しい説明パネルにて。
演舞の様子はビデオでの放映も。
係りの人によれば、明日の最終日には
屋台を外に出して演舞を披露するそうです。
11/4(月)からは那珂湊が生んだ日本画の巨匠
「那波多目功一展」が12/22まで開催されます。
冥界ゾーン「十五郎穴」へ [歴史・レトロ・旅行]
先日、久々に「十五郎穴横穴墓群」に行きました。
有名な「虎塚古墳」のある広場からのスタート。
石碑の奥に見えるのが前方後円墳・虎塚古墳です。
鬱蒼とした雑木林に覆われたトンネルのような
狭い一本道をトコトコと下っていくと・・・。
途中、合併前の「勝田市」の道標と出合いました。
こんなところに、まだ残されていたんですね。
大小の横穴墓が一望できる広場に到着。
2008年に描いたスケッチが残っていました!
一番小さいF0サイズに2枚続きで描いたもの。
オレもよくやるよ。(^.^)
ここは古墳時代終末期から奈良時代にかけて
利用された”共同墓地”のような横穴墓群で
3カ所の支群に別れて広く分布しています。
ちなみにこちらは県指定史跡「館出支群」で
露出した34基の横穴墓を見ることができます。
全体では未発掘分も含め総数300基を超えると
推定されている、まさに”冥界ゾーン”なのです。
加工しやすい凝灰岩の崖面を利用して作られた
大きさも高さも奥行も異なる大小の横穴墓。
中には穴の入り口に墓参用の階段が刻まれていたり
玄室の奥に祭壇のような窪みが設けられたものも。
地位や年齢、性別の違いによるものでしょうか?
小さい穴は子どもの墓かなあ?
それとも〜ペットの墓??
ず〜っと見ていると
無数の穴が死者の目のように思えて何とも不気味。
貴重な彩色壁画を有することから
「虎塚古墳」が広く注目を浴びているのに対し
江戸時代から存在が知られている県指定史跡
「十五郎穴」は、知る人ぞ知るミステリアスな
冥界ゾーン。(#^.^#)
近年、32号墳から正倉院御物と類似した
「銅製金具方頭太刀」が発掘され注目を浴びましたが
今後も発掘が進めば、さらに貴重なお宝の出現も?!
オカルト雑誌「ムー」愛読者の私は
「十五郎穴」の神秘さに惹かれています。
アール・デコ様式の朝香宮邸へ [歴史・レトロ・旅行]
山手線の目黒駅から徒歩7分程の森の中にある
東京都庭園美術館に行ってきました。
ここは昭和8年(1933)に朝香宮邸として建てられ
アール・デコ様式の本館自体が美術品と言える程。
しかも緑豊かな庭園が調和したユニークな美術館
として昭和58年に開館。さらに平成26年には
本館奥にギャラリーを備えた新館が加わりました。
巨木のアプローチを進んで行くと、その先には・・
平成27年に国の重要文化財に指定された本館が。
終戦後の昭和22年、朝香宮家は皇籍から離脱し
思い出多き邸宅を離れたそうでお気の毒でした。
現在は美術館として生まれかわったお陰で
恐れ多くも旧宮家御一家が住まわれた価値ある
邸宅内をしっかり見学できるというもの。
2階建ての外観は至ってシンプルな感じです。
玄関前には金属製の狛獅子?一対が勇壮なお姿で鎮座。
この日は、アールデコ全盛時代に活躍したという
画家・キスリングの絵画展を開催していました。
キスリングの絵画には殆ど興味がありませんが
本館には展覧会の会期中しか入れないので
絵画はそっちのけで建物内部をしっかり見学。
それでも多数の絵画を邸宅内に展示しているので
撮影OKの箇所は少なく、窓は全てカーテンで遮光
されており残念でした。
2階バルコニーからは広大な庭園が見渡せて
樹林の先には茶室のある広い日本庭園も。
本館から新館へと通じるアプローチ。
ミュージアムショップのおしゃれな空間。
館内にはカフェとフレンチレストランが併設されて
いたのですが、訳あって、どちらもスルー?
芝生で覆われた開放感ある広い庭では
木陰のベンチで時間を忘れて寛ぐ人も。
山手線は目黒駅の次が恵比寿駅なんです。
恵比寿といえば、大好きな〜
「エビス・ガーデンプレイス」があるでは!
ということで、本物の生ビールが飲みたくなり
こちらの「ビアステーション」に迷わず入館。
うまいビールと食事で格別なランチを楽しめました。
【アール・デコ様式】〜パンフレットから引用
1910年代から30年代にかけてフランスを中心に
ヨーロッパを席巻した工芸・建築・絵画・ファッション
など全ての分野に波及した装飾様式の総称。
直線と立体の知的な構成と、幾何学模様が特徴。
続・水戸城大手門の復元工事 [歴史・レトロ・旅行]
先の記事の続きです。
念のため、二の丸を中心とした案内図をアップします。
左から、三の丸(3)→大手門(2)→二の丸(1)となり
さらにその先は御本所(本丸)(6)へと続きます。
三の丸と二の丸の間、及び二の丸と本丸の間は
防御のための深い切り通しとなっており、現在は
それぞれ旧6号国道と水郡線に利用されています。
大手門の建築現場は黒いシートで覆われていて
内部の様子はよく分かりません。
水戸城建設当初からの防御施設として
大手門の両側には高い土塁が築かれており
左手の土塁の方に”迂回用の通路”が設けてあるので
そこから「二の丸」に進んでみます。
迂回通路の階段を登り切ると、そこは土塁の最上部。
深い森に覆われて
二の丸広場をぐるりと取り囲んでいるようです。
写真の土塁の左手の方は防御のため
旧県庁舎や弘道館のある「三の丸」と隔てる形で
深い切り通し(今は旧6号国道が通っている)に。
御三家の居城にしては石垣を全く使っておらず
基本的には空堀と土塁だけで構成された
地味目というか貧乏そうな?水戸城なのですが
地形を巧みに利用した大掛かりな土木工事により
見た目以上に堅固な防御構造になっていることが
“臨時の迂回路”のおかげでよく分かりました。
(殆ど、水戸城オタクな気分?)
迂回通路を降りて、二の丸広場に到着。
二の丸は実質的な水戸城の中枢部に当たり
かつては広大な「二の丸御殿」があったそうな。
振り返ってみると、復元工事中の大手門と土塁の
位置関係がよく分かりますよね。
念のため?覆屋のシートをちょっとだけめくって
内部を覗いてみると、太い柱が複雑に組み合わされ
屋根にはしっかりと真新しい瓦が載っていました。
覆屋が取り外されて全貌が現れるのが楽しみです。
二の丸広場〜目の前にはこんな光景が!!
水戸一高のある「本丸」に向かう直線道路の両側には
水戸三中(左手)と水戸三高(右手奥)があるのですが
両校とも真新しい武家屋敷風の塀で仕切られていました。
しかも電柱がないので
まるで江戸時代にタイムスリップしたような
不思議な気分になってしまいそうで
水戸藩の武士たちが出現してもおかしくないかも?
既にご存知の方にはつまらないかもしれませんが
好奇心の赴くままに
「本丸」まで、この先を進んでみましょうか?
やはりマニアックなせいか人気がなさそうなので
この辺で終了とさせて頂きます。
水戸城大手門の復元工事 [歴史・レトロ・旅行]
水戸に用事があったので、ついでに
南町のスクランブル交差点近くにある
「黄門そば」へ入ろうとしたら、今日はお休み?
なので、大通り反対側の松野屋ビル3Fにある
手打ち極太うどんの老舗「いづみや」へ入ると
家族連れなどの常連客で混み合っておりました。
迷わず〜「むじなうどん」をオーダー。
コシの強い極太麺にカラフルな具材が乗った上から
冷たい麺つゆを豪快にぶっかけて食べるんですが
めっちゃ美味いんだなあ〜これが!!
私のような面(麺)喰い党?にはたまりません。
630円という庶民的な値段で
こだわりのうどんが食べられるなんて幸せ〜!
「いづみや」を出た後、食後の運動がてら
弘道館の入り口付近までテクテク来てみると
なんか様子が変?
大手橋辺りにはこんな看板が立っておりました。
旧水戸城復元の総仕上げとして、重厚な大手門の
復元整備にかかっていたんです。
9月30日完成ということは
もうかなり工事が進んでいるのかも?
道路の真正面には大きな覆屋があり
その中で工事が行われている様子。
巨大な門が市道をもろに塞ぐ形になるので
これまで通れた車や自転車は通れなくなります。
でもこの先にはいくつもの学校があるから
通学の歩行者は通れるはず。
歴史ファンとして見過ごすわけには参りませぬ。
一気に好奇心に火が付いちゃって
ワクワク気分で奥へと進んだのでありました。
残念ながら夜も更けてきたので、続きはこの後で。
ぜひご期待ださい。